お久しぶりです。今回は今までとは少し変わった本を紹介しようと思います。
『狩猟と編み籠 対称性人類学U』(中沢新一著 講談社刊)という本です。タイトルにある通り、『対称性人類学』の続編に当たるらしいのですが、僕は『対称性人類学』はおろか中沢新一の本や人類学の本を初めて読むため、彼の主張の流れや独特の論理展開、人類学の専門用語等、慣れないものが多くて彼の主張についていくのに少々苦労しました。なので今回この本を紹介をするにあたり、中沢新一の主張を誤って理解してしまっていたり、本質の部分を見逃していることがあるやもしれません。けれども、この本で初めて中沢新一に触れる人がどのような印象を抱くのか、ということの一つの指針にして頂ければ幸いです。
端的にいえばこの本の主張は、
映画の本質とは人類の心の深奥にある人間を人間たらしめているものである「流動的知性」を表現するために新石器時代の人々が行っていた宗教的儀式と本質的に同じ手法を用いて描こうとするものである、という壮大な仮説を打ち立て、検証し、正当性を確立しようとするものです。言うは簡単、行うは難し。中沢は本書の中で人間のイメージを構築しようとする過程と映画の中で生じる要素(
映画館の構造、
スクリーンの中で生じる様々な奇跡、悲劇,群像劇)が新石器時代に行われていた原始的宗教的儀式と以下に酷似しているかを指摘し、人間に今も変わらず存在するイメージの源泉を解き明かそうとします。
そして新石器時代的宗教、すなわち人間が持つ流動的知性を直接その身に流動的知性を体験しようと試み、流動的知性をイメージに落とし込む堕落した宗教からの脱出がモーセの出
エジプト記(原題:「エクソダス」は脱出を意味するギリシャ語)であり、これ以降に発生したユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教につながっていくと述べています。
そして、ここで疑問が浮上します。ユダヤ教はイスラム教は偶像崇拝を禁止しているけれどキリスト教はイメージにあふれているじゃないか?という疑問です。ここでさらに面白い展開が待っています。聖骸布に写し取られたキリストは被写体に像が写し取られたという意味では世界で最初の
写真の被写体であるとしてキリスト教に潜む映画的構造を明らかにしていきます。まず、キリスト教でも父である神は描かれません。神の子であるイエスを中心としてキリスト教におけるイメージは展開していきます。ここには神という超越的な存在から神の光(愛)によって受肉した存在であるキリストは、光によって感光し、乳剤(
英語でエマルションemuisionと言いますが、これは「乳絞り」を意味するemulsusが語源)によって現像された写真、つまりイメージの現出と構造的に同一であることを指摘します。
そしてキリストが唱える父と子と精霊という「三位一体(トリニティ)」の構造こそが単純性、普遍性という意味平面から過剰性という物語的立体構造を生み出し、これこそが約1900年後に生まれる映画の多情を予言しているとさえ言いたくなるほどの同一性を備えていると述べます。キリスト教はモーセがイメージから脱出する事によって新石器時代的宗教からの超克を目指したのに対し、キリストは自らが映画的存在になる事によってイメージの救済を目指したというのです。
ここからまた更に話が進化し、貨幣と宗教という現代の宗教に置いても非常になじみの深いテーマについてについて考察します。貨幣も元々は神や為政者の姿を彫刻し、その権威を貨幣に宿らせ、価値という抽象的な概念を金や銀や銅と言った金属に与えようとしたものでした。このような構造が宗教、特に神の性質が宿った神の子としてのキリストと同一のものとなります。それ故に宗教と貨幣は分ちがたく、宗教は一方で清貧を奨励しながらも自身の下にはお金を引き寄せてしまうという奇妙な性質が生まれます。ここに人類が今まで抱えてきた宗教と経済の表面的な矛盾に潜む本質的な同一性が明らかとなります。
そしてここにもイメージが関係します。物質をイメージの力によってそれただの物質以上の存在にする、というのが宗教と貨幣の共通項だと述べました。ではそのイメージの背後にはどのような流動的知性の動きが関わっているのでしょうか。未開部族では他部族との交流の際に贈与の儀式があります。そこでは部族の長から様々な貴重品がたくさん贈られます。そして時には「交換しようのないくらいの価値あるもの」である技巧の随をこらして作られた仮面を自分の気前の良さを示すために破壊したり捨てたりする習慣があります。この仮面が貨幣の原始的な姿であり、ここではまだ仮面に宿った抽象的概念は現れたり(作られる)消えたり(破壊する、捨てる)します。これではまだ貨幣としては成り立ちません。そこでせっかく生まれてきた富が消えないように現実的な意味でも価値の高い
貴金属によって概念が消える穴を塞ぐことによって現実世界に富の思考が生まれる事になり、かくして経済として人々の間を循環し始めるのです。
このように映画と宗教の間のつながりを通じて我々を見たこともないような世界へ連れて行ってくれるのが本書『狩猟と編み籠』です。今回は紹介、というより内容の要約になってしまいましたね。これで大体全五章のうちの3章くらいまでかな。続きが知りたい方がおられましたら
リクエストをコメント欄にして下さい。3人リクエストがあったら残りの2章の紹介と僕なりの総括(印象?)を述べてみたいと思います。お気軽にリクエストしていってください!
(実はけっこう楽しみに待っていたりする(笑))

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